衝撃の電話~私が英語に目覚めた瞬間

現在は語学関連の仕事で生計を立てている私ですが、子どもの頃から一度も英会話教室や学習塾に通ったことがありません。
経済的な理由もありましたが、特に興味もありませんでした。
幼い頃から本が好きだったためむしろ日本語の美しさに心酔していて、お気に入りの俳句をノートに写して感想文を書いたりするような、渋い趣味を持つ小学生でした。

また親の教育方針(?) も、ちょっと変わっていたんです。
「子どもの本職は遊び!勉強なんかしてないで外で遊びなさい!」
と言って、帰宅早々に宿題など広げようものなら家から追い出されていました。

だから小学6年生の時、母親が電話で英語を話しているのを聞いた驚きたるや!
母が英語を流暢に操ることなどちっとも知らなかったので、まるで別人のように見えたことを覚えています。

電話を切った母はふと振り返り、固まっている私に涼しそうに「どうしたの?」と言いました。
「ママ、英語しゃべれたの!?」
「うん。あら、知らなかった?」
「外国に住んでいたの?」
「外国に行ったことはないよ。」
「どうして英語ができるの?」
「結婚するまでアメリカ人の経営する病院で働いていたからね。」

母は看護師でしたが、自身の両親が中学生の時に亡くなり、学校には働きながら通ったそうです。
サラッと言いましたが、いくらアメリカ人の元で働いていたとはいえ、英語をマスターするには相当頑張ったのだと思います。
ただ、当時の私にはそこまで思い至ることができませんでした。

「エーッ!じゃあなんで英語と日本語の両方で育ててくれなかったの~?
英語で育ててくれていたら、来年から英語の授業なんか楽勝だったのに!」
つい甘えてこんな不満をもらすと、母は言いました。

「私は苦労して覚えたんだ。あんたも苦労しな!」

仁王立ちで不敵に宣った母ですが、表情は笑顔です。
私みたいになりたかったらせいぜい頑張りな、とその顔には書いてありました。

自分の子どもには少しでもラクをさせたい、という教育方針の方には共感するのが難しいことでしょう。
でも結果的に私はとても感謝しています。

今こうして英語を教える仕事に就けているのは、意志の有無にかかわらずやらされたからではなく、自分の好奇心で勉強し、それを楽しめたからです。
習い事ができないぶん一人で解決しなければならず、とにかく辞書を引き英文の仕組みを考えました。
この過程があったおかげで論理的思考が身に付き、授業では解りやすく説明することができます。

母の教育方針は20年前でも珍しかったですが、そのワイルドさも捨てたもんじゃありませんね!

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